コンピュータ外人部隊

Kudou Kikaku
天才プログラマ達


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(61)
どこのソフトハウスの社長も苦労している。
「できるスタッフはすぐやめる、そうでないのは..ほら、そこ」
どこの社長の口からも同じ言葉が出る。

(62)
大丈夫ですよ。がんばってください。
こんな言葉を口にする発注元のSEは絶対土日に会社にはいない。
納期直前でも自宅休養しているのだ。

(63)
どんなプロジェクトのスタッフでも必ずプロジェクトリーダーに不満を持っている。
こんなに忙しいのになぜあいつはプログラムを書かないのだ?
教えておこう、プロジェクトリーダーがプログラムを書き始めたら誰が客に納期遅れの
言い訳を考えるのだ?

(64)
どんなプログラマでも昔すごくきつかったプロジェクトを自信にして生きている。
ただし、それが本人の経験したものとは限らない。
決してプログラマの話しをうのみにしてはいけない。
バグと居眠りは絶対あるのだ!

(65)
気持ちのいい仕事をしたことがある。
発注をもらって1年客を待たせた。見積りは3か月。
その間捨てておいたわけではない。
何度となく、アルバイトへ仕事を依頼したのだったが、誰一人として完成にいたらなかった。
ついに1年経って客から電話が入った。来月お持ちします。
電話を切ってから仕様を練り、マシンに向かって1週間。完璧な出来。
こうやって毎回逃げているから納期直前まで仕事にならないのだ..そして忙しいのだ。

(66)
貧乏な会社にいたことがある。
ゴキブリが出る開発室だった。
社長は営業上がりだった。
休日を開け出社しておどろいた。
マシンが全てまっしろなのだ。
まちがっても開発室でバルサンをたいてはいけない!

(66)
貧乏な会社にいたことがある。
寒い日の早朝からは仕事にならない。
ハードディスクが結露してマシンが立ち上がらないのだ。
反射式灯油ストーブの水蒸気は結構こわい。

(67)
貧乏な会社にいたことがある。
社長は営業上がりだった。
そして、部長と社長は会社の営業をしていた。
部長はメーカー回りのルートセールス。
社長は肥料を営業していた。
当時の開発スタッフは誰一人残っていない。
この会社は今でもまずしいままなのだ。

(68)
貧乏な会社にいたことがある。
開発室部長は、Jus○Systemの○子をやっと覚えた。
ある時休出していた部長から電話がはいった。
ファイルが書き込めなくなった!○子のバグだ!
私に言われてもしょうがないのだが、とりあえずオペレーション手順を聞いてみた。
文章を作ったら保存できないと言われた。
自分の作ったファイルは全て1枚のフロッピーに収めて持ち歩きたがる部長だった。
ディスク容量のオーバー以外考えられなかった。
とりあえずいらない..うーんゲームとかを削除してから再度保存してください。
私がそう伝えてしばらくすると..読み込めない!と電話が入った。
再度オペレーション手順を細かく聞いてみた。
私は聞き漏らしたオペレーションがあったことに気付いた。
「文章を保存できなくて頭に来てフロアにフロッピーを叩きつけた」
このオペレーションがおそらく至命的だったに違いない。

(69)
貧乏な会社にいたことがある。
開発室スタッフ全員でアルバイトをしたことがある。(つまりモラルは極限まで低下していた)
分けまえはプログラムステップ比率で計算することにした。
当然部長も開発に入った。まぁ、しばらくコードを書いていないということで番号選択型
メニューを書いてもらった。
深夜結合テストをかけようとした時、メニューがどの番号を入れても終了してしまうのだ。
ソースコードを確認すると、その殆どがコメントで何を入力してもコードエンドへ流れている。
それでもコード比率で部長はわけまえをせしめた...
この部長。某市の○ドー○チェーンの販売管理システムのプロジェクトを納めた経歴の持ち主
である。確かに口は立つ。....プログラムコードは口でも書けるのだ。

(70)
貧乏な会社にいたことがある。
当時パソコンでISAMを使うことなどまだまだ早期の時代だった。
その殆どが乱順編成で、データのメンテナンスはレコード番号でデータを指定していたころの
話しである。
私は必要と趣味を兼ねて連日風呂場で考え込み最小メモリ64Kで32k件のデータを扱うことの
出来るISAMを開発していた。
データ編成をISAM化できるとデータメンテナンスプログラムは全てパラメータ化できる。
開発工期は通常の1/3になっていたのだった。
それをそのまま販売しようという企画を出したのだが、営業上がりの社長は理解できない。
部長は資料を作れという。(当然部長も理解できていなかった)
ISAMを開発して3年後○リプル○イという製品が世の中に出回った。結構売れたらしい。
同時にDBASEなる製品が世の中に横行しはじめた。
このISAMの開発コードをZGといい、この原理はこの後何社かわたり歩いた会社で○PASEと
いう開発コードを持つ自動プログラミングシステムのノウハウに成長した。
しかし、この○PASEも営業上がりの社長の会社の前では無力であった。
2〜3年後ビジュアルベーシックが世の中に出回った。
○PASEの構想は現在のVBへアプリケーションテンプレートを持ったアプリケーション
ウイザードに酷似していた。

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全てノンフィクションですがなにかと問題がありますので一部正確な事実と異なることをお断りいたします。
著者:工藤ゆたか <HOME>